じんせいぼんやり放浪記

うつ病で退職した元OLが、日々の気分の記録と、元気になることを目指してぽつぽつ考えたことをかくブログ。

頑張り至上主義につかれた

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過去、何に全力を尽くしてきましたか?

と、しょっちゅう問われる。推薦入試ではいかに学校の部活動を頑張ったか、普通の入試ではいかに勉強を頑張ったか、そしてその次就職の試験ではとにかく何を頑張ったか(ただしサブリーダーはダメだ)と問われる。転職の面接であっても仕事の何に全力をつくしてどう変えようとしてきましたかと問われる。

この頑張り至上主義はなんなんだろう。

「頑張らない人間はクズだ」「頑張れない人間はダメだ」「過去に頑張って何かに打ち込んだ人間と、そうでない人間ならば打ち込んだ人間の方が魅力的だ」と当然のように主張されるけれど、その「頑張る」の基準は一体どこにあるのかわからない。

「クズ人間であるという自己嫌悪に苦しみながらも二十数年生きてきて頑張ってきました」と主張しようものならそれは認められない。評価される頑張りはありとあらゆる頑張りではなく「ウケがいい」頑張りだけなのだ。

だからといって「もう疲れたので、私は頑張り至上主義を降ります」というと「そんなので食っていけるのか」と罵られ、実際受け入れてもらえる先もなく、俺の若い頃は…とか、ゆとりは我慢が足りない…とか、メンタルが弱い…とかとギャンギャン言われる。そして雇用形態でも当然のように差別されて「頑張ってこなかったから非正規雇用なのだ。頑張って、正社員になろう」と言われる。

「定時で帰りたい・残業代は働いただけちゃんと欲しい・年間120日ほど休みが欲しい・休出したら代休が欲しい」といった働く条件ばっかり口にして自分が何ができるか、何で貢献できるかを語らないやつはクズだ!としょっ中見るけれど、なら逆に会社は私に何を求めているのかわからない。黙って働く労働力ではないの?

なんというか自分が何ができるか、どんな人間かを説明するって、「食べ物の味を知らない人に、自分が食べているものの味を説明する」ことに似ている。

「私はこういう能力があって、過去の仕事でこのように生かしてきました」と言っても、その会社で生かせるかどうかはわからない。私と関わりがあった人でバンバンプロジェクトを立てていたが、たてるだけ立てて放り出し部下に責任を押し付けまくり、仕事の中身はめちゃくちゃで、言い訳とごますりが死ぬほどうまくて嫌われまくってる人がいた。でもそういう人は転職市場では私よりもはるかに高く評価されるだろう。(もちろん私だって人のことを言えた義理じゃない)

本人の口から聞く話を聞いて、どこまで何がわかるのだろうか…

喋らせるよりも、1日一緒に仕事して、その後一緒に遭難するか、無理なら山登りしたら大抵心根がわかると思うんですけど…。

(昔冬山で迷って一晩帰れなかったことがあるのですが、そういう時って、本性が出るなあと思った覚えがあります。)

頑張っても報われないことはたくさんあるし 報われていたのは運がよかっただけだと今更気づきました。

 

画像はぱくたそより「過労でぐったりした牛人間」です。