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じんせいぼんやり放浪記

うつ病で退職した元OLが、日々の気分の記録と、元気になることを目指してぽつぽつ考えたことをかくブログ。

うつ病OL日記その4と、私ではない私になること

 

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写真2枚をアップロードするだけで2回の強制終了を食らった悲しみ…

他の方のブログを拝見していて、自分のブログは、なんというか、とってもとっちらかっているなあ…と反省している今日この頃です。でもどうにも整理整頓がつけられないので、このままその時々で思うことを書いていきます…。

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私ではない私になること

今日は通院してきたのですが以前の、「病気になる前の自分に戻ってきたと感じるか?」という問いを受けて、答えに迷いました。

結論から言うと「仕事に関する心配を除けば、戻ってきていると思います」と答えたのですが、そもそも、仕事をしている時は常に「私ではない私」状態だったのです。

うつになることについてはいろいろな考え方があると思うけれど、先日ネットで見かけた漫画にあった「うつとはなるものではなく、心の中に眠っているもの」うつヌケ ~うつトンネルを抜けた人たち~ 第20話|はぁとふる売国奴 )という表現がしっくりきたので、今回はそんな考えから昔のことを書きます。

 

今の状態になる芽はどこからあったのか。

理想の自分と現実の自分がかけはなれていたこと…が原因ではありますが、「理想の自分」が生まれる芽となったのは、研修での挫折だったかなあ…と思います。

研修での挫折とは、研修担当に「なんでお前は同期のAみたいになれないんだ」と言われたことです。「しょうもないな!」と思われるかもしれないのですが、私にとってはとても大きなことでした。

Aさんは、学校ならクラスの中心になるような人で、明るくて誰とでも仲良くなれるすばらしい人でした。中学時代、Aさんのような存在になりたいと思って、けれどなれ なくて、自分なりに落としどころをみつけたつもりでそれまで生きてきました。

就職活動でも企業に求められるAさんのような「コミュニケーション能力」を前に悩みました。悩みつつ、自分なりの人間関係の築き方をPRしてきたので、「採用してくれた会社はそこも見て選んでくれたのかな」と思っていたものの、ここにきてやっと全然違う、思い違いだとつきつけられたのです。私ではない私にならないとこの会社ではやっていけない。

 

「同期のAさんのようになれない」は入社してからも繰り返し突き付けられました。もちろんここまで露骨な言葉ではなかったけれど、形を変えて繰り返されました。「暗くてさ〜せんw」みたいに返しつつも、「私は明るく振舞っているはずなのにこれ以上何をどう明るくすればいいのだろう?」とわからなくなりました。(こうぐずぐず考えてるあたりが暗いのでは…。)

そんな中で「理想の私像」という、明るくて、仕事もさくさくできて、誰とでも仲良くなれて…と実際の私とはかけはなれた代物が自分の中でできていって、その理想像に近づこうと外面だけ真似て四六時中へらへらしていたのです。(一応、別に実際のAさんはにこにこしている人であって四六時中へらへらなわけではないです。)

 

最初のタイトルのところに戻ります。

私が会社で求められていた(と、少なくとも当事者である私がそう感じていた)のは「私ではない私」だったのです。

演じている「私ではない私」は、会社の一員として生きて行く上で、目指さなくてはいけない理想ではあっても、私が好きな私ではありませんでした。

冷静になれば、「会社はそんなこと考えてるわけないだろ」「誰も彼もAさんみたいだったらなりたたんだろ」と自己ツッコミできるのですが、目の前の人の反応に怯えて私でない私になろうと必死だった私には全く考えつきませんでした。

私は人に嫌われることをおそれ、私ではない私を演じつづけて空回りし、好きでもないものを好きと言ったり、困ったことにも、嫌なことにも声をあげずに我慢するのがえらいと思っていて、私のやっている仕事で過去躓いたり楯突いた人がいかに悲惨な末路をたどったか…みたいなことをたくさん聞いてビビりまくり、結局自滅しました。

どこで間違えたのだろうかと思うと、それは「私ではない私」として、興味のないことを頑張ろうと決めた所だと思います。でも少なくとも、選んだ時点ではそれらが、他者の望む私であることが、「うまくやっていく」上では最良の答えだったのです。

しかしながらその選択はこの挫折の前に、学校で馴染むことのできなかった原体験、そしてその原体験を塗りつぶすために他者からの評価基準に依存して選択を重ねてきたこと…自分ではなくて他人の目を優先する考えと結びつくものでした。

「なるべくしてなった」という言い方は変な気もしますが、振り返ってみると「自分」がない、自分が本心からやりたいとは考えていない選択を重ねてきて今に至っているのです。

 

とにかくずっと、他人の目ばっかり気にして選択を重ねてきてしまった…というのは前に書いたことですが、先日「若い読者のための世界史」を読む中で、自分が選んだ専攻のことを思い出し、「他者からの基準だけではなかったな」とふと気付きました。

自分が好きだという気持ちに従って選んだことも、少ないながら、あったように思います。

そして、自分が好きなことをしていた時の方が、たとえ役に立たないことであっても、ずっと幸せでした。

今は世間一般の定規から見ると、ひたすら堕落しきったどうしようもない人間なのかな…と思うのですが、不思議と必死で私ではない私をしていたころよりも、今の方が少し自分のことが好きです。

人を変えることはできない、自分を変えることはできる…という言葉は今の私が言っても何の説得力がある言葉でもありません。でも、自分の環境を選ぶこと、自分の変え方を選ぶことはできるのかな、と思っています。

そんなことをぼんやり考えた一日でした。

 

なんだかとっても読みにくい文章になってしまいました。またどこかで整理します。

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読んだ本

西井敏也『世界一周 わたしの居場所はどこにある!?』

世界一周 わたしの居場所はどこにある!? (幻冬舎文庫)

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¥617から
(2016/10/14 22:17時点)

それぞれの土地で印象深かった体験をブツ切りでピックアップした、読み物として面白おかしい感じの世界一周道中でした。

それ以上に何か感じるものがあるか?というと特にないかな…。