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じんせいぼんやり放浪記

うつ病で退職した元OLが、日々の気分の記録と、元気になることを目指してぽつぽつ考えたことをかくブログ。

いい大学でても仕事できない奴が他人の目を気にし続けた結果

生きること・働くこと

うつになりました。

ちゃんちゃん。

 

ふとブログを読み返しつつ、人生を振り返ってみました。

そうしてなんだか、今まで全ての基準を他人に任せていきてきたなあと思いました。

 

他人に任せるっていうのは楽なことです。

一つ前に書いた会社仕事の楽さしかり、価値基準を他人に置くことしかり。

自分で選択したり考えたりしないで、他者が考えてくれた価値を指差して選んで後は結果をぽかーんと口開けてまってるんだからこんなに楽なことはありません。

 

なら、「口ぽかーんとあけてるうちに降ってきた物でできてる私ってなんなのかな?」と考えた時、他者に依存した価値でできた自分は、とてもからっぽだなあと感じてます。

 

今までの経歴だけ振り返ってみたら、ありきたりですがそれなりにいい方だと思います。

悪くない高校を出て、背伸びした大学に行き、大学ではそれなりに優秀な成績を収めて、人に言ったら褒められるような企業に勤めてます。

あくまでも経歴だけ見たら…

この経歴以外、私はまるで空っぽです。
なぜならすべて「他人や世間にどう見られるか」を考えて選択し、生きてきたからです。

 

●これまでのしくじり選択の積み重ねと結果

 

中学校の時、私は学校に馴染めませんでした。半分不登校みたいで、成績表も1や2ばっかりでした。

中学校でカーストを作ってたのは勉強、外見、スポーツでした。外見とスポーツは努力ではどうしようもないので、逆転するためには勉強しかありませんでした。
他の奴を見返したいという気持ちだけで、高校受験をしました。
学校の場所と偏差値で決めたので、進学先がどんな学校かなんて、一回も見に行きませんでした。
高校もあまり楽しいとは思いませんでした。中学校の頃の、学校が嫌いだった気持ちをまだ引きずっていました。
ただ、勉強は楽しかったこと、両親とも旧帝大出身だったので、同レベルの学校に行かなくては世間にバカにされると思って、進学先を決めました。
専攻したい内容も、深く考えていませんでした。「なんとなく自分が興味があること」を志望していました。


「なんとなく」で決めた大学ですが、大学は今まで生きてきた二十数年間で、一番自由で素晴らしい場所でした。
「なんとなく興味がある」として決めた専攻は、研究を進めるにつれて「私が勉強したかったのはこの専攻ではなかったかもしれないなあ…」とは思いましたが十分興味深く、勉強するのが本当に楽しかったです。

サークルやボランティアで何を成したわけでもありませんでしたが(っていうか一番最初に入ったサークルも「こう見られたい」と思って入りました。で、向いてなくて幽霊部員になりました)、どんなことでも打ち明けられるような友人とも出会うことができました。

三年次に、就職活動が始まりました。

 

私は、院にいくか、就職活動をするか、迷いました。

本音は院にいきたいなと思ってました。
勉強したいことはまだ何もやりきっていない。卒論でもやりきれそうにない。
でも世間一般的には、文系の院なんてよくわかんないし、食べられないと思われるし、大抵のみんなは就職するし〜〜、マイナビリクナビが解禁するし〜〜〜。
「周りがそうしているから」院は相談もしないで、私は就職活動をしました。
受かりそうにもない大手はチャレンジすらしませんでした。
入りたかった会社には落ちまくって、内定をくれた今の会社に入りました。
で、入ってみたら最初の研修でいきなり明るい同期指されて「あんな風にニコニコしろ!」って鬼教官に怒鳴られるし、ま〜〜〜配属されてもマジで仕事できなくてノルマこなせないし、したくもない残業してるし土日ないしべっこんべっこん凹みまくり鬱になった次第です。ちゃんちゃん。

 

●やりたいことを仕事にできてる人はすごい


これまでずっと、世間一般というものを気にして、他の人にどう思われるかを考えて生きてきました。
せっかくあった大学の四年間も、「したいことをする」ということに気づかずに漫然と過ごしてしまいました。で、今したい仕事をしていて毎日楽しそうな人たちを見て、同じ大人なのにいいなあと指をくわえてみています。

私が朝起きて泣きながらシリアル食って泣きながら通勤電車乗って泣きながら書類と向き合って同僚をドンびかせてた間に、仕事大好きな人は「今日は何しようかな!」って自分もまわりの人もワクワクしてたってことですよね…いいなあ〜〜〜……


そうして流されてきた今気づいたのは、私が必死こいて大事にしてきた「世間一般」というものは、私を守ってくれるものでは決してないということです。
今更ですね。
今、「大事にしてきた」といいましたが、「いい訳にしてきた」と言った方が正しいかもしれません。
「みんながしているから、これは正しいんだ」と考えることを放棄し、自分の行動を正当化して、安心していました。
自分が本当にやりたいことにチャレンジしない、傷つく失敗を避けるための、いい訳にしていました。「いいな〜〜」と私が指くわえて見ていた、したいことを仕事にしている人は、私が漫然と選択を避けてきた間にたくさん傷ついてきたし、そうじゃなくても自分の頭で考えて選択するということを積み重ねてきたたし、何より口で「やりたい!」と言うだけじゃなくてやりたいことをきちんとしてきたすごい人たちだったんです。

例えば私が風来坊の如く生きようとしたら世間一般の人は「うへえマジかよ。いい年こいて、将来のことも考えないでプータラして、頭おかしいんじゃないの」と思うんじゃないでしょうか。

でも、それだけです。そう思った人は次の瞬間には私のことを忘れてるし、私に何か仕事をくれるわけでもない。世間一般にとって、私はどうでもいい存在です。


私がふらふら旅をしたところで、世間一般には別に迷惑なんて何もかからないのに、ほんの一瞬でも、「うへえマジかよ」と思われることが怖くてしかたがありませんでした。レールを外れ、「一般常識」外に行き、仲間はずれにされるのが嫌でした。

 

今、うつ病と診断されて休んでいます。
(同時に、周りの人がもったいないほど私に優しいことにも今更気がつきました。いまだに返信できてないんですけど…そろそろ見捨てられたかもしれない…)
会社を離れたら私は無力です。会社の権威もきられないし、つとめてきた間培ったものはどの場所でも生かせるような代物でもありません。

というか、つちかったほどのスキルがありません。元気につとめていたとしても、明日会社が潰れてポーンと放り出されたらろくにお金も稼げません。
そのことにも、今更気づきました。

 

私は会社を、自分がやりたいことをやるお金をかせぐ場所だと考えていました。

でも、同じ会社で働いていた人たちは会社を自分がしたいことでお金をかせぐ場所だと考えてたみたいです。


これまで他者を基準にしてきたことを、今とても後悔しています。
これから、「こう見られたい」ではなく、「自分がやりたい」と思っていたことに、はじめて挑戦したいと思って着手しています。プラ板とかは違いますが…。楽しいです。
こういうことがしたい!と言うことを、恥ずかしがらなくてよいようになりたい…

 

あんまりにも読みにくかったので文字の大きさとか調整しました。自己満足。